てぬぐいの産地・堺市は、大阪府の中南部に位置し、府内でも人口・面積が2番目に大きい都市です。
さかのぼること4~5世紀、この地には仁徳陵古墳をはじめ、100数基から成る百舌鳥(もず)古墳群が造られました。
▲2019年、百舌鳥古墳群は世界遺産への登録が勧告されました
平安時代には、この地が摂津・河内・和泉の三カ国の境に位置していたところから「さかい」と呼ばれるようになったそう。堺の名前の由来はここから来ているんですね。
鎌倉時代には漁港として栄え、海運の拠点として発展。戦国時代には貿易港として国内外からさまざまな品物がもたらされ、日本一の貿易都市となりました。火縄銃や包丁などは、この時代の交易をきっかけに堺の主要産業として発達したとも言われています。
▲古墳をつくった時代に伝わったとされる堺の鍛鉄技術。長い歴史があります
さて、堺市の津久野・毛穴(けな)地域では、明治20年頃に「和晒(わざらし)」の産業がおこりました。この地域には大量の水を供給できる石津川や日当たりの良い丘陵など、晒づくりに適した土地だったのです。また問屋が多い大消費地である大阪と、一大綿生産地である泉州の中間に位置していたことも、産業を発展させる大きな要因となりました。
▲かつては木綿を川にさらしている風景が見られた石津川。現在では整備され、鮎が遡上することもあるそう
さらに第2次世界大戦では、戦火をまぬがれるため、大阪市内でつくられていた「浴衣」の染色業界が堺に移転。伝統的な手染めの技法である「注染」の技術が入ってきたことから、より鮮やかな色に染められるようになり、和晒はてぬぐいや浴衣に姿を変えました。
▲色や柄も豊富なてぬぐいは多くの人たちを魅了しています(画像提供:竹野染工株式会社)
現在、津久野・毛穴地域で織布、晒、染色などてぬぐいに関連する企業はおよそ300社といわれています。住宅と工場が隣り合う、ちょっとディープなまちですが、訪れてみると下町ならではの風情を感じられるかもしれません。
▲住宅街のなかにてぬぐい関連の工場が立ち並んでいます
▲「だんじり」の時期になるとまち中の人たちが熱く燃えるんです(画像提供:おもろい堺 藤岡雅人)
歴史があって、ちょっと不思議で面白い。てぬぐいはこんな場所でつくられています。ぜひ足を運んでみてくださいね。